付録Ⅱ

神の回復を語る初期教父たち

この付録では、1054年の東西教会分裂以前に活躍した初期教父たちの言葉をいくつか紹介します。教義的には多様性があるものの、彼らの言葉にはしばしば、「神の憐れみと癒しがすべてに及ぶ」という深い希望が見られます。

「なぜなら、彼はすべての敵をその足の下に従わせるまで、支配しなければならない。最後の敵として滅ぼされるのは死である。」
– コリント人への手紙一 15:25–26(多くの教父たちが最終的勝利の証として引用)
「最終的には、悪魔さえも癒されるであろう。」
– Gregorios Nyssa(グレゴリオス・ニッサ)『魂と復活について』
「神はすべてのもの——見えるものも見えないものも、失われた者や罪人をも——包み込んで、すべてのうちにすべてとなる。」
– Maximos Homologetes(マクシモス・ホモロゲテス/マクシモス告白者)
「神の罰は治療のためのものである。それは復讐ではなく、魂を癒すためのものである。」
– Isaac Syrus(イサアク・スリヤ/聖イサアク・シリア)
「下って行かれたその方は、すべての天よりも高く昇られた。そのために、すべてのものを満たすためであった。」
– エフェソ人への手紙 4:10(オリゲネスなどが回復に関する教えで引用)

これらの証言は、神の義と憐れみを対立ではなく一致と見る、深く豊かな神学の流れを示唆しています。

この視点における「回復」は、裁きを否定するものではなく、神の愛の深さを信頼することにほかなりません。