12. カントンシティの祝福
忠義、ローカルの奇跡、そしてキュウリという無言の言語についての黙想
パパールの町角。
色あせた赤い看板の下に、ひっそりと立つ店がある。
Restoran Canton City(レストラン・カントンシティ)。
コピは強め。
麺は伝説級。
そして、店主のおじさんは——
ほとんど耳が聞こえない。
……けれど、その男は、もっと深い何かにチューニングされている。
言語が何であってもいい。
中国語でも、マレー語でも、英語でも、
あるいは空腹のため息でも。
彼は、“心”を聞き取る。
ただし——
キュウリを頼まない限り。
それだけは、いつも忘れる。
あるいは、忘れたフリをする。
いや、たぶん——宇宙に任せてるのだ。
でもある日、
はるか海の向こう、柳川の明治洋館で。
蝶ネクタイ姿のカナダ人が、結婚式チャペルでマレーシアのゲストを迎え、
ふと、こんな言葉を口にした。
「Saya ada rumah di Papar.」
(パパールに家があるんですよ。)
その瞬間。
遠くパパールの厨房で、
おじさんはスープをかき混ぜていた。
何かが、そっと変わった。
彼はふと顔を上げ、
誰もいない空間を見つめて——微笑んだ。
宇宙が、彼の名をささやいたのだ。
彼は言葉を聞いたわけじゃない。
でも、キュウリを感じた。
そしてその時、静かに、
宇宙全体に栄光の波が流れた。
語られたわけではない。
説明されたわけでもない。
でもその日、あのスープを口にした者すべてが知っていた。
祝福は——
再び、カントンシティに戻ってきたのだ。
*コピ:濃いマレーシア風コーヒー。
練乳や砂糖が入っていることも多く、しっかりとした風味が特徴。