正教会では、何事も急ぎません。
すべてが祈りと沈黙、そしてゆるやかな導きの中で成り立っています。
私の受洗も、ある日突然ではありませんでした。
それは、何年にもわたって静かに私を包み込んできた臨在への“応答”でした。
ある日、私はクリスマション(聖塗油)を受けて、正教会に迎えられました。
その時、私は新しい名前をいただきました:
シメオン。
この名前は、私の誕生日(2月13日)と深く関係しています。
それは、12世紀の祈りの人である「聖シメオン・ミュロニティス(香油流出者)」の記念日でした。
彼の遺骸からは、癒しの香油が流れ出たと伝えられています。
私はそのような聖人にふさわしいとは思いません。
でも、この名前には意味がありました。
それは「交代」ではなく、「成就」だったのです。
スティーブンが消えたのではありません。
スティーブンが、シメオンという名の中で深められていったのです。
シメオンもまた、かつては「スティーブン」だった。
スティーブンは語る人でした。
シメオンは沈黙を学びました。
スティーブンは議論しました。
シメオンは聞くことを選びました。
スティーブンは仕えてきました。
シメオンは今、他者と共に“最後の罪人”を待っています。