第10章 – 教理ではなく、憐れみ

私がたどり着いたのは、
「神が御子を怒りの対象として差し出した」という物語ではありませんでした。

むしろ、
「神が御子を送ったのは、すべての人を救い出すため」——それが本当の物語でした。

西方の伝統では、「罪の償い」や「神の正義の満足」が中心になることが多いかもしれません。
でも、正教会の教えはまったく異なります。

キリストは「父なる神の怒りを和らげるために死んだ」のではなく、
「死そのものを滅ぼし、地獄に囚われた者たちを救うために来られた」のです。

この気づきは、神のイメージを変えました。
神がより“優しく”なったわけではなく——
「本来の神の顔が、ようやく見えてきた」のです。

だから、私は議論することをやめました。
代わりに、祈るようになりました。

この福音は、勝ち誇るべきものではありませんでした。
ひざまずくべきものだったのです。